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ディレクターより  Messege from the Director of KIFFO

幼いころの多感な時期に映画を通じて世界を感じてほしい。

世代や地域を越えた人間関係の世界を広げてほしい。

 

この二つの思いが、KIFFOを支える大きな原動力となっています。物語や音楽、衣装、食べ物、地域の風景・・・様々な芸術の要素を含んだ総合芸術である映画は、感性の種をまき、誰の心にも必要な想像力をつけ、心を豊かにするものです。

 

一つの映画をみても、たくさんの受け取り方があります。その全てが正解であり、答えは一つじゃない。たくさんの正解(〇マル)があることは、そこに沢山の笑顔があるということに他なりません。

 

 今年は、戦後70年の節目の年でもあります。県民の4名に1人が命を落としたといわれている沖縄戦では、大人から守られるべきはずのたくさんの「こどもたち」も犠牲になりました。皇民化政策による教育・政府のプロパガンダは沢山の10代の若者を戦場へと向かわせ、また集団自決などの悲劇を生みだし尊い命が失われました。終戦から70年、わたしたち日本人は過去からきちんと学んでいるだろうか?このような過ちを二度と繰り返さないよう、ひとりの人間として「考える」ことに重きをおこう。そのような決意をもって、今年からKIFFOのキャッチコピーに「考える」という文字を入れました。前夜祭では当時の思想教育にも触れながら、生き残った命にフォーカスし、映像の力を感じる、縄戦をテーマとするドキュメンタリーも取り上げます。

 

 他国の文化や人間ドラマを、日本にいながらにして身近に感じることのできる国際映画祭は、平和外交のはじまりといっても、過言ではありません。

 

 幼少期からいろんな国の、いろんな映画を感じて、考えて、友だちや親や兄弟も、おじいちゃんやおばあちゃんも、お互いがたくさん話して、そしてつながる映画祭。それがKIFFO<キフォー>です!

 

 重要なステップである第2回目をむかえるにあたり、本当にたくさんの「大人たち」が立ち上がっています。代償などないなか「こどもたちのために」ということをキーワードに、こんなにも多くの大人スタッフが時間をさいて、支えてくれていることに、沖縄の未来の可能性を無限大に感じています。

 

ぜひどうぞ、会場で会いましょう。そして今年のKIFFO<キフォー>の一員となってください。

映画祭ディレクター/KIFFO festival director/Programmer

宮平貴子(みやひら・たかこ)

Takako Miyahira

プロフィール

1979年沖縄県那覇市生まれ。沖縄国際大学在学中に一般映画サークル突貫小僧で映画批評などを学ぶ。映画祭のボランティアをきっかけに、映画を作る仲間と出会い、短編を作り始める。4年時に沖縄でカナダ人の映画監督クロード・ガニオンのカメラ助手を経験し、映画界を目指す。モントリオール世界映画祭で至上初の5冠を達成した『KAMATAKI』で助監督を務め、ドキュメンタリー制作などを経て、初監督作となる『アンを探して』を制作。日本公開をきっかけに沖縄にもどり、2011年映画会社ククルビジョンを設立。初プロデュース作品の『カラカラ』2014年現在、スイスとの共同製作ドキュメンタリー、および台湾との共同製作をてがけており、世界に通じる映画づくりで沖縄を発信していくことを目指す。

同時に、幼年時の感受性の豊かな時期に映画体験の必要性を感じ、KIFFOの開催を決意する。

 

2002『CALL』(学生時代の短編)山形国際ドキュメンタリー映画際の沖縄特集に招待

2002『リバイバル・ブルース』クロード・ガニオン監督作/カメラ助手

2004『KAMATAKI-窯焚-』クロード・ガニオン監督作/チーフ助監督-モントリオール世界映画祭5冠

2006『Fire Artist 炎の声』クロード・ガニオン監督作/撮影・編集

2009 『アンを探して』で初の共同脚本・監督デビュー

             -最優秀監督賞・最優秀作品賞-第5回アジアンフェスティバルバルオブファーストフィルムズ

2012『カラカラ』クロード・ガニオン監督作/プロデューサー

2014 3月2日にKIFFOの周知運動としてキンダー国際映画祭in沖縄の周知イベントを開催

2014 11月第1回こども国際映画祭in沖縄<KIFFO>を立ち上げる

2014 11月 台湾映画『百日告別』を台湾のアトムシネマと共同製作

2015 〜現在 第2回開催に向けてKIFFO実行委員会を設定、実行委員長と映画祭ディレクター兼務

宮平貴子 みやひら たかこ

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