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『宇宙ガールオレリー ~14才の日記~』

Le Journal d'Aurélie Laflamme

 

監督クリスティアン・ロランス

【2010/ケベック(カナダ)108分/吹替上映(予定)】

 

上映スケジュール

①11.23  10:30〜

②11.24  13:20〜

日本初公開

チケットは

こちらより

「宇宙人さん。こんなに広い宇宙に・・・私は、ひとりぼっちなの?」

 

女子校に通う14才のオレリーは、掃除マニアのわからずやのママとふたりぐらし。

無二の親友ともケンカしちゃって、世界の終わりがやってきたような気分。

しかもママの新しい恋の相手が、校長先生だなんて・・・やってられない。

想像力豊かな女の子オレリーの等身大の日常をコミカル描く

悩める全てのティーンエイジャーに捧げる応援歌!

 

パパがいてくれたら、きっと分かってもらえるのに。でも、パパは5年前に死んでしまった。「パパはどこにいるの? 人は死んだらどうなるの?」というオレリーの問いにママは答えようとしない。

 

でもオレリーには秘かにこう考えていた。パパは実は宇宙人で、地球を去って自分の星に帰ってしまったのだとしたら? それなら、オレリーも同じく宇宙人だということになる。そう考えてみると、いろんなことに説明がつく。自分がママや他の人とはあまりにも違っていること、言葉をうまく続けて話せないこと、そして男の子に対してすごくイライラすることなどに。

 

オレリーにとって恋は想像すらできない未知の世界だ。でもニコラと出会って、彼女は心の殻が割れるような激しい気持ちを感じる。決して恋はしないと誓っていたのに!

 

日記のページを通して、オレリーは喜びや悲しみ、成功や失敗、恋や友情について赤裸々に語る。自分の居場所を探す少女の物語。

 

ケベックのティーンの間で一大ブームとなった「オレリーラフラムの日記」の映画化。

脚本・監督  クリスティアン・ロランス

Writer/Director Christian Laurence 

宇宙飛行士のスーツをつり上げてしまった漁師のミステリー「L’astronaute(宇宙飛行士) 2007年」で鮮烈な短編映画デビューを果たす。ケベックで大ヒットしたベストセラー「AURÉLIE LAFLAMME’S DIARY オレリー・ラフラームの日記」の映画化にあたって才能を抜擢され本作が長編脚本・初監督デビュー作となる。

予告編/Trailer

Comming Soon

映画をもっと知りたい人は・・・

監督クリスティアン・ロランスの言葉

『オレリー14才の日記』のような作品を映画化できることは映画監督にとっては本当に恵まれたことだと思う。長編デビュー作という冒険に乗り出すにあたり、熱烈なファン層をもつ楽しくて繊細な原作に取り組み、素敵な人柄と文才を兼ね備えた一流の作家と一緒に仕事ができるというのはこの上ない喜びだ。

 

若い観客が型にはまった映画ばかりに集まる中、私は楽しい娯楽性を持ちながらも、ティーンエージャーが日常で直面するリアルな問題に取り組む作品を生み出すという課題に惹かれていた。つながりを求める気持ちや、親や教師との関係、友情、初恋などといったものを描きたかった。ケベックにはロック・ドゥメールがプロデュースしたContes pour tousシリーズを筆頭に上質のファミリー映画の伝統がある。私も、同シリーズの中の一本La guerre des tuquesに出てくる砦みたいな大きな砦を裏庭に作りたいと思っていたものだ。だから、本作に取り組めたことはまさに子どもの頃の夢が叶ったようなものだった。

 

一般オーディションやブック・フェアでオレリーの原作本のファンと接する機会があった。ブック・フェアでは作者のインディア・デジャルダンを一目見ようとする若い人たちの長蛇の行列ができたくらいだ。45万部以上売れたという数は把握していたが、オレリー現象の影響力の大きさを理解するには実際にファンと会うのが一番だった。ぽっと出のアイドルにただむやみに騒いでいるというレベルではなかった。インディアは十代のファンたちに親友やお姉さんとして真摯に接していた。そして驚くなかれ、ファンはその真摯さを100倍にして返してくる。みんなの目は見るからに輝いていた。そしてファンたちが作者に寄せる手紙からは、インディアが何千人もの若い子たちにインスピレーションを与えている存在だということがよく分かった。

 

幼少期と青年期のはざま、少女ごっこと自己主張の微妙な境目で、オレリーは宇宙の中での自分の居場所を見つけようとする。父親を亡くし、自分の感情をうまく理解することもできないまま、母親と衝突し、一目ぼれという形で突然やって来た初恋のゆらめきに戸惑うオレリー。気持ちのバランスや心の静けさを取り戻すために、彼女は自分の内面を見つめることになる。

 

若者向けのチャンネルVrakTVで局のTVスポットを作っていた7年間のあいだに、私は十代の観客たちの素晴らしさを強く感じるようになった。彼らはドライなユーモアやウィット、尽きることのない好奇心、みずみずしさやとめどない情熱を持っている。彼らにとっては何もかもが世界の終わりのような重大事だ。成功や失敗、ケンカ、心をとろかし何もかも捧げてしまいたくなるような異性の登場、そういった事柄に対してジェット・コースターに乗っているみたいに激しく一喜一憂し、心破れる絶望と夢見心地の幸せの間を行き来する。

 

インディアはよく「若者たちは美しい」と言っていた。過度のセックス、退学、薬物依存、自殺といった今日の現実の一側面ももちろん存在し、これらのセンセーショナルな問題はメディアの注目をいつも集める。だが、実際そういったことに関わる若者はほんの一部だけだ。失恋や社会への適応、両親との確執などの「普通の問題」を抱えた大多数のティーンエージャーたちに我々が目を向けることはあるだろうか? 本作を作るにあたって私は自分の思春期を振り返ってみた。当時の自分が見たいと思っていたのは、まさに『オレリー14才の日記』のような映画だ。この映画に出演するマリアンヌ、ジェネヴィエーヴ、ジェレミー、アリョーシャという4人の俳優たちは、みんな素晴らしい人間性を持っていてゴシップ雑誌の表紙を飾る薄っぺらのセレブとはまったく違った存在だ。彼らの力を得て、私は若者たちにこのポジティヴな映画を贈り、インスピレーションを与えることができればと願っている。

 

同時に本作は大人の心にも訴える映画であってほしいとも思う。誰もが一度は十代を体験してきたはずではないか。私みたいに大人になりきれていない者も中にはいるだろう。それに、親になったら思春期の感情の渦と再び直面することになる。今度は分からず屋の大人という役柄を与えられ、リングの反対側に立って自分の子どもと向き合うのだ。

 

オレリーの母親フランスは繊細で優しい人物であり、自らも自分の中の矛盾や葛藤と闘っている。5年前の夫の死からまだ立ち直れずにいる彼女はもろい部分を持つ女性で、みるみる成長していく娘に圧倒されるばかりだ。再び傷つくことを恐れて彼女は分厚い壁を心の中に作っている。しかし、彼女の人生に春風が吹き、ついに過去と対決する勇気を得て、心を開いて幸せを受け入れることができるようになる。エディット・コシュラヌはそんな人物像を正確に理解し、ニュアンスを込めた演技をしている。彼女の演技は日々ティーンたちと向き合うすべての人間の心を動かすだろう。

 

本作を軽快でさわやかな映画だと感じてくれる人もいると思う。見終わった後に観客の心が軽くなって爽快な気持ちで劇場を後にしてくれたら、私のゴールは達成したようなものだ。現代生活のあらゆる問題の中で、幸せであることは私にとって一番重要なことであり、幸福というテーマについて徹底的に取り組んでみたいと思っている。映画を通して、皆にいい気分になってもらいたいと思っているからだ。「元気になれる映画」という表現は私にとって決してネガティヴな意味合いを持っていない。この言葉は『アメリ』や『JUNO/ジュノ』、The Grand Seductionなど、我々の記憶に残る多くの映画に用いられてきた。本物の感情を真摯に描く人間サイズの映画。本作もそんな映画の仲間に加えてもらえればと願っている。

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